乱丸フェスタは、女子プロレスラー救世忍者乱丸が主催するプロレスの大会です。「世界一オモロいプロレスの大会」と銘打ち、ほぼコミカルプロレスで構成された大会内容で、2011 年より大阪・東京などで不定期開催しています。
大会のコンセプト
- 日頃激しい試合をしている選手にコミカルの試合を楽しんでもらうこと
- そして選手の普段とは違う一面をファンに楽しんでもらうこと
- その 2 つが成立すると主催者である乱丸自身も楽しい
この「三方よし」を基本コンセプトとしています。
開催実績
2011年2月の第1回大会から13年連続、計40回開催(2024年8月時点)
過去の大会の模様をYouTubeで公開中!
救世忍者乱丸のプロフィール

救世忍者乱丸
きゅうせいにんじゃらんまる
網膜芽細胞腫により片目を摘出、3 歳で義眼となる。父の影響で空手を始め、世界大会に出場するなど空手家として将来を期待されるが、プロレスの試合で見た堀田祐美子に憧れプロレスラーを志願する。しかし、プロレス団体のオーディションでは、義眼を理由にことごとく不合格となる。その後、アニマル浜口レスリング道場に通いレスラーとして始動。一度はプロレスを断念しリングから退くが、ジャガー横田からの誘いで吉本女子プロレス Jd’より「救世忍者乱丸」として再デビューを果たす。義眼、病気など幾多の困難を乗り越え、自主興行「乱丸フェスタ」を中心にコミカルレスラーとして活躍するかたわら、自身の生い立ちをテーマにした講演も行っている。
- 1999 年 10 月 6 日、神奈川・クラブチッタ川崎において、対ファング鈴木、遠藤紗矢組戦でデビュー(デビュー戦のパートナーは Cooga)
- 2004 年 4 月 29 日、東京・後楽園ホールにおいて、第 21 代 TWF 世界タッグ王者になる
- 2005 年 J’d スターを退団、フリーランスとなる
- 2006 年 急速進行性糸球体腎炎により緊急入院、プロレスラーとしての復帰は絶望的と医師から診断されるも、少しずつ軽いトレーニングを積み重ねていく
- 2008 年 5 月、東京・ディファ有明において、ジャガー横田・ライオネス飛鳥の興行で復帰
- 2010 年 6 月 27 日、大阪プロレスお笑い選手権でくいしんぼう仮面を破り王者となる
- 2011 年以降、自主興行「乱丸フェスタ」開催中